コーヒーの大衆化と品質向上
大正から昭和にかけてコーヒー需要は拡大します。しかし第二次大戦に入ると「敵国飲料」として1938年(昭和13年)には輸入が制限されます。大戦後、1950年(昭和25年)に輸入が再開。1960年(昭和35年)にコーヒー自由化が開始。市場競争が展開されます。今から約60年前、市場競争が激化し
大正から昭和にかけてコーヒー需要は拡大します。しかし第二次大戦に入ると「敵国飲料」として1938年(昭和13年)には輸入が制限されます。大戦後、1950年(昭和25年)に輸入が再開。1960年(昭和35年)にコーヒー自由化が開始。市場競争が展開されます。今から約60年前、市場競争が激化し
代表の中田です。前回の続きです。日本にコーヒーが輸入されたのは1877年(明治10年)のこと。1888年(明治21年)には、最初の喫茶店である「可否茶館」が上野に開設。そこでは、図書やトランプなどの娯楽が楽しめたそうです。文具等も用意されていたそうです。メニューはコーヒー、牛乳入りコーヒ
代表の中田です。今回から日本のお話です。1639年から鎖国政策をとっていた日本。コーヒーは長崎にいたオランダ人から1690年頃にもたらされたとのことです。当時オランダ人と交流のあったのは、通訳や商人等の特権階級に限られました。狂歌で有名な太田蜀山人(おおたしょくさんじん)は、コーヒーを初
代表の中田です。今回はコーヒーハウス誕生のお話です。コーヒーは1630年代にイギリスに渡りました。1650年のオックスフォード。最初のコーヒー店が開店します。1652年にはロンドンにも開店。コーヒーハウスは「ペニーユニバーシティ」と呼ばれ、1ペニーの入場料でニュースペーパーを読んだり、交
代表の中田です。今回はアメリカがコーヒー党になった経緯です。17世紀初頭、ジョン・スミスによってアメリカ大陸にコーヒーが伝わります。紅茶を好んでいたアメリカがコーヒー好きになったのは有名な「ボストン茶会事件」でした。イギリスは、前述のオランダとの競争に敗れ、紅茶に傾倒していきました。茶条例を
代表の中田です。今回は、アラビアの盛隆のお話です。17世紀にはヨーロッパ各地にコーヒーハウスが開店します。アラビア半島のイエメンのみがコーヒー供給源でした。世界の市場を独占していたのです。そこから、モカなどの紅海沿岸から出荷されていたのです。当時のイエメンには、イスタンブール、モロッコ、
代表の中田です。今回はブラジルにコーヒーが伝来した当時の物語です。18世紀のはじめ、ポルトガルの海軍士官フランシスコ・パルヘッタが、コーヒー栽培が盛んだったフランス領ギアナに派遣されました。その滞在中、総督夫人と恋に落ちたそうです。パルヘッタは、当時ポルトガル領だったブラジルにコーヒーの苗木
代表の中田です。今回は、コーヒーがヨーロッパに広がっていく過程のお話です。ヨーロッパに伝来する前から、キリスト教徒にとってはコーヒーは異教徒の飲料とされていたそうです。ヨーロッパに伝わり、ローマまで知り渡るようになると当時の教皇クレメンス8世は、異教徒だけに飲ませるのは良くないと考えたそ